映画鑑賞メモ

ネタバレを含んでいますのでご注意ください

ポール・ウォーカーの足跡: ワイルド・スピードシリーズ Vol. 2 - The Fast and Furious 

・すべてのはじまり

 ポール・ウォーカーがこの映画に出演することになったそもそものきっかけは映画「ザ・スカルズ/髑髏の誓い (原題:The Skulls)」に出演したところからはじまる。この映画の監督ロブ・コーエンとプロデューサーのニール・モリッツ。この二人がポール・ウォーカーに「The Fast and Furious」話をもちかけてきたのだ。

ワイルド・スピード (字幕版)
 

   ロブ・コーエン監督がこの作品を撮る着想を得たのは1998年のこと。

 ユニバーサルのケビン・ミッシャー(Kevin Misher)から何かのネタになりそうなんだけどと1998年5月に発売されたVibe Magazineに掲載された記事「Racer X」を読んでほしいと渡された。

 それはNY、クィーンズのストリート・レースとの様子とその当時注目されていたドラッグレーサーのラファエル・エルテヴェスについて書かれており、映画のアイデアが浮かんできた監督は知り合いのモーター・ジャーナリストに連絡をとる。

 早速、LAのストリート・レースの現場に連れて行ってもらったところ実際に若者たちが熱狂する姿を見てこれを映画にしたいという気持ちが固まったそうだ。リサーチすればするほど車文化やストリート・レーサーのグループに魅了されたと監督は語っている。  

   ポール・ウォーカーが映画についてそれとなく打診されたのは「ザ・スカルズ/髑髏の誓い」の撮影をしていたクリスマス休暇中のことだった。ロブ・コーエン監督がまだ脚本に着手しはじめた頃のことだったが、ポール・ウォーカーを主人公とする監督の気持ちは最初から固まっていたそうだ。そのため監督がポールに話すより前にプロデューサーのニール・モリッツが「次はどんな映画にでたい?」とそれとなくポールに探りをいれてきていたらしい。「潜入捜査ものかレースとかかな」とのポールの答えを取り入れた結果ブライアンというキャラクターが誕生したという。ロブ・コーエンから話をきいたポール・ウォーカーは「ザ・スカルズ/髑髏の誓い」撮影を通して監督の映画の撮り方がすっかり気に入っており「どんな映画でもいいからまた監督と一緒に仕事がしたい」と常々言っていたこともあり「やりたい!」と即答したそうだ。ちなみにこの1998年は娘が誕生。ポール・ウォーカーが父親になった年でもある。

・2歳の時からショービズ界

 ポール・ウォーカーが俳優として仕事をしたのは12歳の時のことだが、モデルとしては2歳の頃からショー・ビジネス界で仕事をしている。

 母親がモデルで妊娠をきっかけに引退していたがエージェントに説得されて2歳の息子をつれてモデル復帰。やがて息子一人での仕事の割合が多くなっていく。家計を助けるためと将来大学に進学するための学費を貯めるためのモデル業であり俳優業。「当時は自分にとって職業訓練のようなものだった」とインタビューでポールも答えており、俳優を本職にするという考えは彼の中ではまったくなかったようだ。

 高校卒業後、コミュニティ大学で海洋生物学を学ぶために一旦仕事をセーブしている。インタビューで「もしも人生をやり直せるなら?」という問いに学生生活を仕事をしながらではなくちゃんと満喫したかったかな」と答えている。モデルの仕事のため NYで過ごす事も多く「ここは空が見えない」と故郷である西海岸を常に恋しがっていたようだ。撮影が終わればピックアップトラックにサーフボードを積んでよい波を求めてすぐ旅にでる。3ヶ月以上一箇所にとどまったことがなく友人たちからノマドとあだ名されていたらしい。一旦撮影が終わると彼のエージェトですら連絡がとれないほど行方をくらましていた。

 1996年にドラマに出演した時にキャスティング・エージェントから諭され、本腰をいれて俳優業に取り組むようになったらしい。  

・my Movie dad - ロブ・コーエン監督

  ポール・ウォーカーを本格的に映画作りの楽しさに目覚めさせたのはおそらくロブ・コーエン監督だ。もとより映画やドラマを見るよりも外に飛び出してサーフィンやスケードボードと身体を動かしているのが好きなアウトドア派。この業界の人たちといると話題がすぐに映画やドラマのことになるので話にまったくついていけなかったとか。

 ロブ・コーエン監督から映画に関していろんなことを教わったとポール・ウォーカーは話している。映画界のメンターであることから”映画界のお父さん (my movie dad)”と呼んでいたそうだ。

 そのロブ・コーエン監督とプロデューサーから「ストリート・レースの映画を撮るつもり」と話をきいた時、これは正しく自分の分野だと嬉しくなったらしい。

 子供の頃はレーサーになりたいとレーシング・カートでサーキットを走り回っていた。高校の頃はストリート・レースをしょっちゅう見に行き、「当時レースに参加はしていなかったけれども、警官がきたら逃げるっていうのは経験済み」だったとか。

 ちなみに役作りのために監督が頼んだ案内人とストリート・レースを見に行った時もポールは警察から逃げる羽目になったらしい。

 警察が取り締まりにきた時、乗ってきたガイドの車が先に逃げてしまいポールは一人で走って逃げ回ることになったそうだ。すぐに迎えにきてくれたらしいが、その時のエピソードを監督はドミニクをブライアンが助けに戻り最初の信頼を勝ち取るシーンとしてちゃっかり映画に取り込んでいる。

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・ 車好きはお祖父さんとお父さんの影響大

 もともと祖父や父親の影響で車好きで知識も豊富だったポール・ウォーカーだが、この映画の撮影中にストリートレーサーや車の技術者とたっぷり話をしたことで本格的にレーシング・カーやなかでも日本車に興味をもつようになったらしい。

 わざわざ自分で輸入して取り寄せて購入するようになったのもこの映画に出たことが多分に影響していて、シリーズを離れてから数年経っても「あんたの映画見ておれはこいつにバカみたいに金を費やすようになった」と車マニアに多々声をかけられることがあり「自分と同じ轍を踏んでいる」と面白く感じたとインタビューで話している。

 普段愛用しているのはサーフボードと身の回りのものを載せて波を追いかけ回せるピックアップトラック。何よりもサーフィンをしている時が一番気持ちが落ち着くということだ。ワイルド・スピードシリーズの1作目、2作目で大ブレイクしてからも撮影期間が終われば行方をくらまし、シングル・ファーザーとして娘と過ごしながらアウトドアスポーツに打ち込んでいたらしく、「ポールがハリウッドにいたためしがない」と共演者らからも言われている。

・続編決定

  話を映画に戻そう。「ワイルド・スピード (The Fast and Furious)」のストリート・レースのシーンはロブ・コーエン監督が取材の時に知り合ったLAのストリート・レーサーの人たちに集まってもらって撮影。当時の若者のサブカルチャーの熱気をとらえたいというのが監督の目的で、旬なものを映画で捕まえようとしているという感覚にポールもとても熱が入ったそうだ。

 当初は作り手もスタジオ側も2月頃に数週間上映してDVDで販売で終わりというような小規模な映画のつもりだった。ところが蓋を開けてみればとんでもない反響がありスタジオはすぐに続編の製作を決めた。

 

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