映画鑑賞メモ

ネタバレを含んでいますのでご注意ください

エクス・マキナ (Ex Machina)

 人間とA.I.が会話を交わし、A.I.側がコンピューターと気がつかれなければ人工知能として合格というチューリング・テストというものがあり、閉ざされた空間でそれを実行していく、その様子をメインに展開していく。

エクス・マキナ (字幕版)
 

 

  閉ざされた空間で、A.I.との会話でこの知能は本物かどうか見定めるというのが主人公の役割だが、このA.I.が超絶愛らしい女の子のボディに搭載されているものだからなにやらややこしい。 

 人工知能として本物かどうかというより、感情を持つか持たないかの探り合いみたいなところがA.I.ものを見るときの醍醐味かなぁと思うのだけれど、この映画でそれはあった...のかな?
 主人公とA.I.のエヴァとの間にあったと思われた甘い何かは主人公の完全な勘違いだったということになるけれど、その勘違いを踏まえてエヴァが施設を脱出するのに主人公を利用したという行為はどう判断すればいいのだろう。

 自由になりたいという自由意思がエヴァの中に自然に生まれたということか。何度も何度もプログラムを上書きされ、メモリーをワイプされ、検索プログラムで“これは不当な扱いだ”と学習し、嫌だと思って脱出計画を練ったのか、それとも”不当な扱いを受けたら立ち上がるべし“と検索プログラムからパターンを拾ったのか。

 そんなことを考えていると、そもそもこの映画はエヴァという存在とどう対峙すればいいのか...ということを考えろというような話でもなかったということなのかとも思えてくる。
 映画を見ながら主人公もロボットかなとか、呑んだくれの社長もA.Iなのかなとか、施設自体が仮想現実なのかなとか、色々考えを巡らせてみてはいたが、結局のところ普通に主人公も社長も人間でA.I.に裏切られたという展開でかえってそう来るのとやや驚きつつ。
 良い人間だろうが悪どい人間だろうが関係ないんだよという判断の仕方がA.I. の無感情の証明......にはならないんじゃないかな。あの社長の振る舞いからすれば感情の発露と解釈できないこともないし、となるとファンシーに思いっきりしっぺ返しをくらったオトコたちの悲しい末路と受け止められないこともないし。

 チューリング・テストを題材にするなら何かもっと出来たような気がするというか、導入や雰囲気は悪くなかっただけにちょっと残念。でも私が好むような展開だと俗っぽいというか、ありきたりな映画になっちゃうか。

 ほかの生物たちの感情の機微に鈍感なニンゲンはきっとA.I.に嫌われるようなことしかできないんじゃないかと思ってしまったり、一方で車や電車、自動掃除機くんにすら感情移入できる人間ならば、なかなか社長のようにはプロトタイプを無碍には扱えないんじゃないかなとか。

 A.I.の方がどう認識してようとしてまいと、気を使って慈しんだりしちゃう可能性の方が高そうだけどなぁとか。

 ここまでつらつらと考えてみたけど、やっぱりこの映画の後ろにいる人たちの意図がよく見えないまんまで。

 もうちょっと頭よくなって再チャレンジしたらもっとわかるようになるのかな。

 それまでは取り敢えずKyokoさんと社長と一緒に踊っときます。

 

私の好み度: ⭐️⭐️/5

🍅: 92%

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